三代目のブログ

川崎 オリジナル仏壇店【新川崎雲山堂】TOP > 三代目のブログ

三代目のブログ

日常の業務で生まれた「ちょっとした発見や話題」を綴ります。
新川崎雲山堂 三代目当主 青地直樹のブログです。

お寺さまのアフターフォローで、お掃除を致しました。川崎の仏壇店

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
こんにちは

創業 昭和24年 仏師三代の
新川崎雲山堂
青地直樹です。

お世話になっているお寺さまのアフターフォローで、お堂内のお掃除を致しました。
是非動画をご覧ください。

お仏壇の、ご用命は新川崎雲山堂まで、
お気軽にご相談ください。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
【新川崎雲山堂の3つの目的】

①神仏や先祖を敬う気持ちに向き合い
心に豊かさと安らぎの灯をともします

②お客様の気持ちに寄り添い
心満ち足りる荘厳を提供します

③利益は 発展と幸せと貢献に
適切に分配します

☆お気軽にご連絡ください☆
〒212-0053
神奈川県川崎市幸区下平間48-103
電話 044-555-2244
営業時間 9:30~18:30
定休日 水曜日
ホームページ
https://s-unzando.com/
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

お仏壇の向きは、どっち向きがよいの? 川崎の仏壇店

お仏壇は北向きを避けるようご説明しております。

お仏壇を置くとき、どちらに向けるのが良いのか、

また、向けてはいけない方角があるのか、など

気になると思います。

宗派によっても、良いとされる向きがさまざまですが、

住宅事情もありますので、「こちら向きが良い」と言われても、

その向きに置けるスペースがあるとは限りません。

そこで、私どもは良い向きではなく、避けて置くと良い向きを

お伝えするようにしています。

それが「北向きを避ける」という伝え方になります。

実際に、それぞれの説を見ていくと、

南面北座説
中国の習慣に由来する。
王様や高貴な人は南を向いて座るので、
家来達は北を向くことから、
敬う対象である仏壇を南向きする説

東面西座説
インドの慣習に由来する。
東は日の出の方角で、立身出世の象徴、
主人は東向きに座ると良い

西方浄土説
仏様が住んでいるお浄土が西の方角であり、
仏壇を通して西の彼方にある仏様を拝むようにする説

本山中心説
仏壇を拝む方向の延長線上に総本山があるようにする説

春夏秋冬説
季節を太陽の動きを元にそれぞれの方角に例え、
東=春 南=夏 西=秋 北=冬 として、
東西南北、上下左右などに善し悪しをつけてはいけないとする説

といった具合で本当にさまざまです。

これらの、説のどれが正しく、どれが間違っている

という訳でもありませんが、正直知れば知るほど迷ってしまうと思います。

しかし、良く内容を見ていくと、一つの共通点が見つかります。

それは、

「北向き」という説がない。

ということです。

そしてさらに、北向きを避けるようにお伝えしている理由があります。

仏壇は壁面を背にして置くのが一般的ですので、

仏壇が北を向いているということは、部屋の南側に置くということになります。

多くの住宅で、日当たりの良い南側には窓が沢山付いております。

掃き出し窓が大きく付いているお宅も良く見かけます。

そうなると、仏壇を窓の前に置かなくてはいけなくなったり致します。

南側の窓の前に仏壇を置くとどうなるでしょうか?

昼間、直射日光を沢山浴びると、木製品である仏壇は

部材自体のヒビ・反り・ねじれなどの不具合に加え、

塗料が激しく劣化致します。

また、日々の仏壇を拝む時も、仏壇の裏から明るい日差しが照らすので、

逆光になり、仏壇の中は真っ暗に見えてしまいます。

これは、思いの他気分の悪いものです。

このように、北向きという説がない

ということに加え、さまざまな問題が起こりやすいことから、

私どもは、北向きを避けるようご説明しております。

そして、出来るだけ家族の集まる居間やリビングに置いて

仏壇が生活の中に溶け込み、

故人と寄り添いながら心温まる「日常」をお過ごし頂ければ、

とても嬉しく思います。

位牌となにか。なぜ位牌をつくるのか。 川崎の仏壇店

dscf6294

昔は、火事や地震、戦時中は空襲などのときには、

ご先祖のお位牌をまず持って避難するという話を聞きました。

それだけ身近に考え大事にしていたということです。

 

戒名を記したお位牌は、亡くなられた方の「依代(よりしろ)」として、

また、ご先祖様や故人の象徴として拝みます。

このお位牌の起源は、儒教に基づいているといわれています。

中国の後漢(二~三世紀)のころ儒教では、

位板(いばん)・木主(もくしゅ)・ 神主(しんしゅ)・虞主(ぐしゅ)といって、

生前の位官・姓名を 40㎝くらいの栗の板に書いて

神霊に託させる風習がありました。

この風習を、宋代に中国に留学していた禅僧が

日本に帰って伝えたのが 日本でのはじまりです。

ちなみに、一般庶民の間に広くまつられるようになったのは

江戸時代に入ってからです。

 

お位牌の形は、古くは木板に台を付けただけといったものや、

蓮台や雲型などの彫刻を付けたものがあり、

16世紀末には袖飾りなどの豪華に装飾 されたものもあり、

江戸中期になると漆塗りや金泥仕上げのものがあります。

また、明治以降になると、繰り出し位牌といって、

一つのお位牌の中に8枚から10枚の板が納められるように

できているお位牌が登場します。

これは、お仏壇に安置するお位牌が多くなったり、

仏壇が小型になったために考案されたものです。

 

葬儀のときに用いるお位牌は白木のものです。

白木位牌は祭壇にまつり、葬儀の後は四十九日の忌明けまで

仏壇とは別に設けた白布の壇にまつって供養します。

白木位牌は四十九日の忌明けまでで、

それまでにお位牌をつくり、

四十九日法要で「魂入れ」(開眼)のお経をあげて頂いたあと、

初めてお仏壇の中に安置します。

白木位牌はお寺に納めます。

 

お仏壇にお位牌を安置する場合、

正面中央にはご本尊がおまつりされていますから、

その両脇あるいは一段下の両側に置きます。

このときの置き方は、正面に向かってご本尊の右側・左側・

一段下がって右側手前・左側手前というように、

年月の古い順にするのが一般的です。

 

また、たまに「うちは亡くなった人がいないから仏壇はありません」

と言っている方がいらっしゃいますが、

これは仏壇を位牌壇と思い違いしています。

仏壇は、自分の信仰の中心としての

ご本尊をおまつりするところであって、

そこに亡くなった方のお位牌を安置するというのが

本来のあり方なのです。

仏壇となにか。なぜ仏壇を置くのか。 川崎の仏壇店

dscf4321

仏壇といえば「亡くなった人をまつるところ」と考えている方が 多いのですが、

実はこれは誤りなのです。

 

「位牌壇」といわずに「仏壇」とよぶことからも明らかなように、

本来は、ほとけ様をおまつりし、ほとけ様にお供え物を供えるための壇です。

また、もともと仏壇は、お寺のお堂にある須弥壇(※1)のことなのですが、

現在では、一般家庭に置かれる箱型の厨子(※2)のことをさします。

 

一般の人々の家に仏壇が置かれるようになったのは、

「日本書紀」にさかのぼります。

白鳳14年(西暦685年)に天武天皇が

「諸国の家毎に仏舎を作り、仏像と経を置きて礼拝供養せよ」

と詔し全国に広まっていきました。

ただ、ここでいう「家」というのは、三位以上の位のある者や

地方の豪族をさすもので、実際に奈良~平安時代にかけては、

有力な貴族や豪族の間で、

持仏堂や仏間の建立が流行しました。 (平等院鳳凰堂など)

 

一般庶民が各家に仏壇を置くようになったのは、江戸時代です。

江戸幕府の政策「檀家制度」「仏壇改め」によって

各家に仏壇が置かれることになりました。

また、一家や一族という価値観からくる『祖霊信仰』があったことが、

仏壇が広く一般庶民に受け入れられることの基礎になっており、

そのため一般の家庭にある仏壇には、必ずといってよいほど、

ご先祖のお位牌がまつられている現在の形になりました。

つまり、仏壇の中にいらっしゃるご本尊のわきにお位牌を置くのは、

ほとけ様のおそばで、ほとけ様にまもっていただこう

という気持ちからであり、そして今では、

亡き人を偲び ご先祖様からの命の繋がりを感謝することが、

お仏壇をお祀りする大きな理由となりました。

 

※1須弥壇:仏教の宇宙観に由来します。

世界の中心に「須弥山」という山があり、

我々人間の住んでいるところは須弥山の まわりにある

八重の海の一番外側の海の南方島(閻浮提洲)だそうです。

世界の中心の神聖な場所であり、

ほとけ様がおられる場所「須弥山」になぞられ、

お寺のお堂の正面にある壇を須弥壇とよびます。

 

※2厨子:仏像、仏画、舎利、経典などを安置するいれもの。

このページの先頭へ