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日常の業務で生まれた「ちょっとした発見や話題」を綴ります。
新川崎雲山堂 三代目当主 青地直樹のブログです。

位牌となにか。なぜ位牌をつくるのか。 川崎の仏壇店

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昔は、火事や地震、戦時中は空襲などのときには、

ご先祖のお位牌をまず持って避難するという話を聞きました。

それだけ身近に考え大事にしていたということです。

 

戒名を記したお位牌は、亡くなられた方の「依代(よりしろ)」として、

また、ご先祖様や故人の象徴として拝みます。

このお位牌の起源は、儒教に基づいているといわれています。

中国の後漢(二~三世紀)のころ儒教では、

位板(いばん)・木主(もくしゅ)・ 神主(しんしゅ)・虞主(ぐしゅ)といって、

生前の位官・姓名を 40㎝くらいの栗の板に書いて

神霊に託させる風習がありました。

この風習を、宋代に中国に留学していた禅僧が

日本に帰って伝えたのが 日本でのはじまりです。

ちなみに、一般庶民の間に広くまつられるようになったのは

江戸時代に入ってからです。

 

お位牌の形は、古くは木板に台を付けただけといったものや、

蓮台や雲型などの彫刻を付けたものがあり、

16世紀末には袖飾りなどの豪華に装飾 されたものもあり、

江戸中期になると漆塗りや金泥仕上げのものがあります。

また、明治以降になると、繰り出し位牌といって、

一つのお位牌の中に8枚から10枚の板が納められるように

できているお位牌が登場します。

これは、お仏壇に安置するお位牌が多くなったり、

仏壇が小型になったために考案されたものです。

 

葬儀のときに用いるお位牌は白木のものです。

白木位牌は祭壇にまつり、葬儀の後は四十九日の忌明けまで

仏壇とは別に設けた白布の壇にまつって供養します。

白木位牌は四十九日の忌明けまでで、

それまでにお位牌をつくり、

四十九日法要で「魂入れ」(開眼)のお経をあげて頂いたあと、

初めてお仏壇の中に安置します。

白木位牌はお寺に納めます。

 

お仏壇にお位牌を安置する場合、

正面中央にはご本尊がおまつりされていますから、

その両脇あるいは一段下の両側に置きます。

このときの置き方は、正面に向かってご本尊の右側・左側・

一段下がって右側手前・左側手前というように、

年月の古い順にするのが一般的です。

 

また、たまに「うちは亡くなった人がいないから仏壇はありません」

と言っている方がいらっしゃいますが、

これは仏壇を位牌壇と思い違いしています。

仏壇は、自分の信仰の中心としての

ご本尊をおまつりするところであって、

そこに亡くなった方のお位牌を安置するというのが

本来のあり方なのです。

仏壇となにか。なぜ仏壇を置くのか。 川崎の仏壇店

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仏壇といえば「亡くなった人をまつるところ」と考えている方が 多いのですが、

実はこれは誤りなのです。

 

「位牌壇」といわずに「仏壇」とよぶことからも明らかなように、

本来は、ほとけ様をおまつりし、ほとけ様にお供え物を供えるための壇です。

また、もともと仏壇は、お寺のお堂にある須弥壇(※1)のことなのですが、

現在では、一般家庭に置かれる箱型の厨子(※2)のことをさします。

 

一般の人々の家に仏壇が置かれるようになったのは、

「日本書紀」にさかのぼります。

白鳳14年(西暦685年)に天武天皇が

「諸国の家毎に仏舎を作り、仏像と経を置きて礼拝供養せよ」

と詔し全国に広まっていきました。

ただ、ここでいう「家」というのは、三位以上の位のある者や

地方の豪族をさすもので、実際に奈良~平安時代にかけては、

有力な貴族や豪族の間で、

持仏堂や仏間の建立が流行しました。 (平等院鳳凰堂など)

 

一般庶民が各家に仏壇を置くようになったのは、江戸時代です。

江戸幕府の政策「檀家制度」「仏壇改め」によって

各家に仏壇が置かれることになりました。

また、一家や一族という価値観からくる『祖霊信仰』があったことが、

仏壇が広く一般庶民に受け入れられることの基礎になっており、

そのため一般の家庭にある仏壇には、必ずといってよいほど、

ご先祖のお位牌がまつられている現在の形になりました。

つまり、仏壇の中にいらっしゃるご本尊のわきにお位牌を置くのは、

ほとけ様のおそばで、ほとけ様にまもっていただこう

という気持ちからであり、そして今では、

亡き人を偲び ご先祖様からの命の繋がりを感謝することが、

お仏壇をお祀りする大きな理由となりました。

 

※1須弥壇:仏教の宇宙観に由来します。

世界の中心に「須弥山」という山があり、

我々人間の住んでいるところは須弥山の まわりにある

八重の海の一番外側の海の南方島(閻浮提洲)だそうです。

世界の中心の神聖な場所であり、

ほとけ様がおられる場所「須弥山」になぞられ、

お寺のお堂の正面にある壇を須弥壇とよびます。

 

※2厨子:仏像、仏画、舎利、経典などを安置するいれもの。

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